2011年(平成23年)3月、国指定の重要無形民俗文化財の指定を受けた「八代妙見祭」は、長崎くんち、博多筥崎宮放生会と並ぶ九州三大祭の一つにも数えらています。妙見祭は、毎年11月23日に行われる妙見宮(八代市妙見町)の秋の大祭で、江戸時代から続く八代地方最大の祭礼行事です。祭りのクライマックス神幸行列では、獅子舞や笠鉾、亀蛇、花奴、木馬、飾り馬など、江戸時代から受け継がれてきた伝統ある出し物が数多く参列し、絢爛豪華な時代絵巻として観るものを魅了します。
通称「ガメ」と呼ばれる亀蛇(きだ)。甲羅部分の全長3m、幅2.5m、重さ100㎏以上もあります。亀蛇の中には「ナカ」と呼ばれる担ぎ手が5人1組で入り、そのうち1人が首をあやつります。 首を上下左右に振りながらユーモラスな仕草で駆け回るその姿は祭り一番の人気者です。
妙見宮の歴史は古く、天武天皇白鳳9年(680年)に、八千把村竹原津に鎮座したのが始まりと伝えられています。その後、延暦14年(795年)に横嶽(三室山)の山頂に上宮が創建され、永暦元年(1160年)には上宮の麓に中宮、文治2年(1186年)に現在の八代神社の場所に下宮が創建されました。
妙見宮の南に位置する山岳部には、14世紀以降、名和氏が築いた山城・古麓城(当時の八代城)があり、この一帯が八代の政治・経済・文化の中心地でした。妙見宮の周辺には多くの寺院が建ち並び、商工業者が門前町・城下町を形成し、海外との交易も行われ、おおいに繁栄していたと考えられています。相良氏が八代を治めた16世紀には、すでに妙見下宮から中宮へ神輿の神幸、舞楽や流鏑馬などの祭礼行事が行われ、多くの見物人を集めていたようです。
町人文化が花開いた元禄の頃(17世紀の終わり頃)には笠鉾や獅子舞、亀蛇など、趣向を凝らし、贅を尽くした出し物が奉納されるようになり、次第に豪華になっていきました。19世紀初め頃にはさまざまな階層の人々が一体となって参加する盛大な祭りとなり、その様子は当時の絵師が描いた祭礼絵巻によって知ることができます。
明治維新以降、行列から姿を消したものもありましたが、現在では出し物の復元や修復等が行われ、往時の豪華な行列が再現されています。
祭りの目玉、神幸行列には神輿、笠鉾、亀蛇など全部で40の出し物が1km以上に渡って連なります。
神様の乗り物である神馬は、貞享元年(1684)八代城主松井直之が神馬屋、中間(ちゅうげん、馬の世話係)、飼料などをつけて永代寄進して以来、代々の八代城主がこれを奉納しました。
無形文化遺産は、2003年の第32回ユネスコ総会で採択された「無形文化遺産の保護に関する条約」により制定されました。芸能(民族音楽・ダンス・劇など)、伝承、社会的慣習、儀式、祭礼、伝統工芸技術、文化空間などを対象とし、日本からは「能楽」「歌舞伎」「和食」などを含め22件の伝統文化が登録されています。
晩白柚は、マレー半島を原産とするかんきつ類で、大きいものは大人の頭の大きさほどもあり、重さは3㎏にもなります。南国のさわやかな香りを放ち、さっぱりとしたソフトな風味が特徴で、果物の王様とも言われています。
八代海特産の新鮮な「このしろ」を主食材に選び抜かれたすし米で製造し、四季を通じて祝い事・祭事・盆正月の料理として県内はもとより、最近は関西・関東まで料理の華として広まっています。
平野部から高冷地まで、全国的に名高い「塩トマト」をはじめ、一年中おいしいトマトが栽培される熊本県は、トマトの生産量全国1位を誇ります。いま八代ではその美味しいトマトを使ったトマトラーメンがひそかなブーム。その爽やかな美味しさを一度お試しください。